80歳で那須塩原へ移住!

雄大な那須高原をキャンバスにして、思い描くリゾートライフやセカンドライフ、田舎暮らしの夢は人それぞれ違います。別荘として家族や友人と過ごす週末リゾート、晴耕雨読の自給自足、無農薬野菜や有機野菜栽培、喫茶店やレストラン経営、趣味を生かした工房、アトリエオーナー。のんびり釣り三昧、秘湯巡りなど、既に那須高原で夢を描き始めた方々の那須暮らしをご紹介いたします。
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『80歳で那須塩原へ移住!』

殿岡早苗さん、秀子さんご夫妻

「私たちは運がいい。妻の喘息も改善しました。息子夫婦には心配されたけど、思い切って那須塩原に永住してよかった」
 そう話すのは、この日たまたま80歳の誕生日を迎えた夫の早苗さん。古い移住者なのかと思いきや、何と横浜市青葉区から引っ越したのが4カ月前という。年齢を公にして恐縮だが、この年齢で移住するケースは本当に珍しい。

「横浜のマンションに30年住んでいました。当初は蛙の鳴き声が聞こえる閑静な場所だったんですが、東名高速のインターが前にできてからベランダが一日で真っ黒になる。窓を開けて深呼吸もできないんです。2人とも腰が悪く、妻は喘息の持病もあります。横浜との行き来がつらくなってきたので、向こうのマンションを処分して移住したんですよ」
ご夫妻はもともと東京都大田区に住んでいた。田園調布に近い高級住宅街で、広い庭もあったが、南隣にできた建物に日照を奪われる。やむなく横浜へ移動したが、今度は都市開発の犠牲に。しかし、幸運にも昭和50年に知人の勧めで購入した那須塩原の土地があった。9年前に分譲地内で温泉が出たことを知り、別荘を建築。水道の管理組合に加入したのも、殿岡家が第1号だった。その後は年に6~7回、横浜との二重生活を始める。ただ、2人には車の免許がなかった。駅から片道5000円のタクシー移動を余儀なくされる。加齢に伴う移動のつらさもあり、定住に踏み切ったのだ。

問題の移動だが、強力な助っ人が現れた。近くに便利屋を始めた移住者がいるのだ。日用品は生協の共同購入を利用しているが、品物を玄関まで届けてくれたり、灯油タンクへの給油もやってくれるのだとか。スーパーや病院へ行く手段もできた。

「引っ越しまで手伝っていただいて、まさに家族ぐるみのつきあいです。ただ、甘えすぎてもいけないので、これはサービス、ここは仕事で、という風にお願いしているんですよ」と秀子さん。

定住にあたっては12畳のサンルームを増築。好きな庭いじりも本格的に始めた。2人には長唄、小唄、新内節など、邦楽の趣味もある。とくに秀子さんは多くのお弟子さんを抱えていたが、「関係を整理して、いまは月に1回、新内節の勉強で上京するくらいです。寂しい思いをしていたら、図らずもここで長唄の愛好会と出会い、さっそく入会させてもらいました」と微笑む。

もう1つの楽しみは温泉。分譲地には近くの日帰り温泉「あかつきの湯」と同じPH9.2/68度の源泉が引き込まれており、自宅で毎日、のんびり湯に浸かっている。肌がツルツルになり、秀子さんは化粧水を使わなくなったほど。一大決心の那須移住だったが、「これで長生きできそう」というご夫妻の言葉が成功を物語っているようだ。