地域に溶け込み、充実の那須ライフ

雄大な那須高原をキャンバスにして、思い描くリゾートライフやセカンドライフ、田舎暮らしの夢は人それぞれ違います。別荘として家族や友人と過ごす週末リゾート、晴耕雨読の自給自足、無農薬野菜や有機野菜栽培、喫茶店やレストラン経営、趣味を生かした工房、アトリエオーナー。のんびり釣り三昧、秘湯巡りなど、既に那須高原で夢を描き始めた方々の那須暮らしをご紹介いたします。
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『地域に溶け込み、充実の那須ライフ』

中島光さん・久子さんご夫妻

静かな森の中に、丸太作りのモダンな住宅が見える。傾斜を利用して基礎部分に作業所も設けられており、壁には日曜大工の道具がきれいに並べられている。フックはすべて枝を利用した手作り。山の生活を楽しんでいる方に違いない。玄関から室内にお邪魔すると、和室に仏壇などもあり、外観とは打って変わってアットホームな雰囲気。まるで田舎の民家に遊びにきた感じだ。

「私はログなんか大嫌い。この人が勝手に建てちゃったから諦めたけど、最初はブーブー文句言ってたのよ」と妻の久子さんは威勢がいい。現在も前住所の埼玉県草加市に通い、三味線の師匠として10人以上のお弟子さんを持つ下町のお母さんだ。一方、光さんは仙台のお寺のご子息で、話し方も穏やか。当人は「仲良くなんかない」というが、実にバランスのとれた夫婦である。

光さんは42歳にして警視庁を辞め、脱サラして建築設計士になったというユニークな経歴の持ち主。当時は高度成長期の真っ最中で、草加市の郊外に一戸建ての仕事がいっぱいあった。その後も順風満帆な日々が続いていたが、8年前に大事件が起こる。地元の大地主から借りていた130坪の土地を6000万円で買い取ってくれ、という話が中島家に舞い込んだのだ。

「そんなの無理だし、このチャンスに田舎で暮らそうと思ったんです。草加から東武線に乗れば終点は福島県の会津田島だから、そこも良いかなと話していたら、姉が『那須に余っている土地があるから、そこを使えばいい』という。30年前にこの土地を買って、私に使えという手紙を送っていたんですね。姉はその後に亡くなるんですが、その手紙があとから出てきた。そういう縁で那須に来たんです」と話す光さん。現在77歳だが、ここでのんびり暮らしているわけではない。浄化槽の水を処理する装置を開発し(詳しくは下のHPを参照)、自宅に建築設計兼用の事務所を設置。

【建築工房 ミツル設計室】GEO CLEAN2000
http://www.mituru-planning.co.jp/INDEX008.htm

約60名で構成される「那須の家建築組合」に加盟し、那須町商工会のメンバーになる。また、町が運営する「ふれあい工房」にも参加。月に2回、木工を学んでいる。新年会や総会などで宴会になることも多いが、カラオケでマイクを握り、代行を利用しながら酒にもつきあう。その積極的な生き方が、実に素晴らしい。ちなみに、日本開発企画が開発した外断熱+ムク材使用の環境に優しい「エコロハウス」は、草加で跡を継いだ息子さんが設計したものだ。

久子さんも町の生涯学習教室に出かけ、那須町の歴史や悪徳商法対策を学んだりしている。
「最初は友だちなんていないでしょ。私はずっと下町のつきあいをしてきた人間だし、こういうところに来たら自分の方から地域に溶け込まないといけないと思って、老人クラブに入れていただいたんです。すべてを捨てて、『新参者ですけどよろしく』と言えば温かく受け入れてくれるものなんですよ。ただ、私は車が運転できないから、買い物もこの人がいないとできない。でも、最近になって500円で車に乗せてくれるボランティア団体ができたんです。これも那須のいいところですね」と久子さん。