温泉のある暮らしを求めて那須塩原へ

雄大な那須高原をキャンバスにして、思い描くリゾートライフやセカンドライフ、田舎暮らしの夢は人それぞれ違います。別荘として家族や友人と過ごす週末リゾート、晴耕雨読の自給自足、無農薬野菜や有機野菜栽培、喫茶店やレストラン経営、趣味を生かした工房、アトリエオーナー。のんびり釣り三昧、秘湯巡りなど、既に那須高原で夢を描き始めた方々の那須暮らしをご紹介いたします。
» お客様の声一覧

『温泉のある暮らしを求めて那須塩原へ』

野口勝利さん、道子さんご夫妻

神奈川県鎌倉市から栃木県那須塩原市に移住して丸1年という野口さんご夫妻。その住まいは、実にユニークだ。リビングの先にサンルームが設けられており、外気に触れる空間が網で囲ってある。リビングの窓と違って、このサンルームに出ると庭の端から端まで見渡せる。もちろん、虫に刺される心配もない。室内は段差のないバリアフリー建築で、外気を導入する24時間換気システムも完備している。ここまで行き届いた住まいでありながら、築10年弱の中古だったというから驚いた。

「とくに見た目がいいわけではなかったけど、玄関に入ったとき匂いが全然しなかったし、押入のカビもない。これならすぐ住める、と私の方が先に気に入ったんですよ。前の持ち主が定住するために建てた家だから造りがしっかりしていたし、傷みもほとんどなかった。その頃は主人の体調がよくなかったので、早く田舎暮らしを始めたかったんです。だから中古に絞ったんですが、いいタイミングでこの家に巡り合いました」と道子さん。

利勝さんの自慢はリビングのストーブ。暖炉に見えるが、後ろにホースが接続されている。薪を燃やしているわけではなく、カナダ製のLPGストーブなのだ。那須で販売業者を見つけたそうだが、「炎が見えるだけでなく、エアーが出てすごく暖かいんですよ。円筒掃除も不要です」と語る。

65歳まで勤める予定だったが、土地探しは早い方がいいだろうと62歳から開始。郷里の福島県で行政分譲地を見学したが、大好きな温泉が近くになかった。茨城県では海に近い分譲地も見たが、土地が狭いうえに移住者が説明するだけの見学会で、地元の人の姿が見えない。田舎暮らしをするのに地域のつきあいがないのはつまらない、と選択肢から外した。那須塩原の家は少し手直しすると居住可能で、温泉も引き込まれていた。敷地が180坪と広く、ガーデニングや畑を楽しむにもいい。購入を決断し、職場も1年早く辞めた。資金は鎌倉の家の売却で間に合ったが、敷地の広さが前の4倍になったという。道子さんは移住後すぐに自動車学校に通い、1カ月ちょっとで免許を取得。

「こちらの自動車学校は親切で、玄関先まで送迎してくれるんです。オートマ限定ですけど、行動範囲が広がりました。自宅の温泉は肌がツルツルになります。もったいないから朝夕に入るんですけど、それがいちばんの楽しみですね。まとまった休みが取れるときは、娘夫婦が東京から遊びにくるんですよ。夏はゴルフ、冬はスキーも楽しめるから、ここが気に入っているみたい」

1年目は土づくりで終わったが、今年はミニ菜園でナス、トマト、キュウリなどの栽培を開始。庭には梅の実も成っている。まもなく収穫が楽しめそうだ。

 住み始めるとき電気系統の工事を業者に依頼したのだが、そこから地元のつきあいが始まり、いまでは牛糞堆肥をタダで届けてもらうほどの関係だとか。この地域ではサークル活動が盛んで、指導者に月千円単位のお礼を払うだけで学べるシステムになっている。道子さんはフラダンス、利勝さんは太極拳のサークルに入会。その後はゴルフの誘いもあり、2人ともグリーンを歩き回っている。道子さんは「打ち損じたらやり直すし、記録も付けない」というから健康維持と親睦が目的のようだ。

「7年半住んだ鎌倉では挨拶する程度で、地域に溶け込みにくかった。それがここでは、たった1年でご近所や地元の人たちと仲良くなれたんです」とご夫妻は口を揃える。地域との交流も視野に入れて土地探しをしたことが、この素晴らしい田舎暮らしにつながったのだろう。